346 東日本大震災の派遣経験の話🚒家族で日頃の備えについて話してみてください

今から13年前の3月11日
消防士として3年目の自分が
東日本大震災の緊急消防援助隊として派遣された当時の経験を思い返して話してみました

災害というのはいつ自分と家族の身に降りかかるかわからない

災害発生時の避難場所は家族で共有できていますか

3日分の家族の食料は確保できていますか

安否情報を残せる災害伝言ダイヤル「171」
を活用してください

この機会に改めて
災害発生時の対応についてご家族で話し合う機会を設けてみてください

今ある幸せって
じつは当たり前じゃない

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#346 東日本大震災の派遣経験の話🚒家族で日頃の備えについて話してみてください - 不動産投資と子育て応援のバーニング大家🔥読書/ビジネス/起業/転職 | stand.fm
3月16日(土)辞める辞める詐欺の元消防士大家シーモ氏 開場:13時45分 開始:14時15分 終了:17時00分 辞める辞める詐欺のシーモ 【年齢】1986年生まれ(37歳) 【家族】妻と子供3人 【住所】京都市内在住 【職歴】 大学卒業後、株式会社H.I.S 4年間勤務
要約

2011年3月11日に発生した東日本大震災の経験についてである。
当時、消防士として被災地に派遣された経験がある。
被災地ではがれきの下から遺体を収容する作業を行ったが、生存者を救出することはできなかった。
この経験から、平時の備えの大切さを実感した。

はじめに

2011年3月11日に発生した東日本大震災当時、消防士として被災地に派遣された経験がある。
この貴重な経験を言葉に残し、備えの大切さを訴えたい。

被災地派遣までの経緯

地震発生時、話し手は非番で自宅にいた。
テレビのニュースで津波の衝撃的な映像を見て、直後に派遣命令が出た。
長時間の車中で被災地に向かう間も停電や物資不足など異様な光景が広がっていた。

被災地での活動

派遣された宮城県南三陸町は壊滅的な状況だった。
がれきの下から遺体を引き上げる作業を行ったが、生存者を救出することはできなかった。
停電や断水で避難所生活を送り、自衛隊や住民の協力に頼る状況下で、行政の限界を感じた。

教訓

この経験から、平時の備えの大切さを実感した。
災害時には近所の人々との絆が何より力になる。行政には限界がある中、自分にできることを惜しみなく尽くしたい。

おわりに

東北の人々の絆を称え、今後も備えを怠らず、明るく前向きに過ごしていきたい。

行動項目

災害用備蓄品の点検と更新を定期的に行う。
避難時の持ち出しリュックを準備する。
大容量モバイルバッテリーを購入しておく。
災害伝言ダイヤル(171)を覚えておく。

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